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休みを使って岡山へ。
まだまだいろいろ動ける今、できるだけ文化の生活を目に焼き付けておこうと動き回っていますが…
特に勉強というわけでもなく、しなければと思うこともなく、実際はほんとゆっくり観光気分です。
現地の人と喋るのが最も好きで、以外とタダで…イロイロくれたりするのが…期待はしてませんが…
ともあれ今回は伊部の方へ焼き物を見に行くことに。
何かこう殺伐とした駅でしたが、踏み行っていくと、壁に壺が埋め込まれたいかにも焼き物の地という感じです。
備前焼自体、釉薬を使わず焼き加減のみで模様を施すとてもシビアな世界。独特の鈍いようで透き通った光を放つ表面で、使えば使うほどその輝きが使い手独自に変化していくそうです。
やはり日本文化は文明開化に一度衰退の道をたどります。
不思議なもので、進化を伴うときに必ず本来の文化が衰退するのですね。
進化、進歩と呼びながら、実は歴史を無視する矛盾な思想がこんな所でもかいま見れます。
衰退する備前焼も茶の流行などを機会にまた全国に広まるようになり、今に至るようですが、100円均一の消費が伸びている点、セラミックの登場などで、また需要としてはあまり伸びていないのでしょう。
多くの大型点で並ぶ食器はおそらく人と対峙して作られるものであって、文化としての食器は、その材料と生活に対峙して作られると思われます。
人と対峙するといっても、ニーズの生み出しや、ファッション性の表面であって、効率が先取りになるでしょう。
どちらがいいのかは個人が決めることですが、長年の文化という生活の土壌で培われた備前の器には生活、食事の思い入れを変えてくれるような気がするのです。
備前の食器を使うとき、その単素な美しさに、料理も合わせてみようか…
重みのある食卓に座り、その際に気づけば、食はまた違う視点となるでしょう。
文化の生活がうんだ食器に乗っかるそんな楽しみを、体験させてくれるのです。
彩食へ
基を繋ぐる
土の間が
簡素な重み
食へと注ぐ
土と炎それだけの世界だけに素直で簡素な美を追究できるのかも知れません。
ふと備前焼で食べる魚に土の香りがしました。
日曜日はどんより曇ってましたね。せっかくのお出かけだったので、すぱっと青空覗かせて欲しかったのですが、曇り空もまたたまにこぼれる日差しのありがたみが分かります。
町屋に合わせて滝を見に行こうかとなり、兵庫の北へ…
お腹がすいたのですが、折角なので露店を食べ歩くことになり、片っ端からぱくついていきます。
できたての釜飯…ほくほくでうまみが利いてて美味しい。というより、歩いて、疲れて、外の寒さの中で優しいおばちゃんに頂く事が美味しいのでしょう。
試食で食べたんです。
釜飯の食べ方の指南までして頂いて、かなり活気のあるお方。
囲炉裏のそばでたべんのが通!!
なんて笑いながらおっしゃるので、たのしくおばちゃんの話聞きながらちょっと長居してしまいました。
ものを食べる文化はこういうものではないのかなとかすかに思いました。
その後近くの山に滝があると聞き楽しみに向かいました。
連れは以外と好奇心旺盛なので、道中イロイロ寄り道するのですが、分けわかんない細工発見したり、珍しい染め屋さん発見して、話聞いたり…以外とそれが楽しく、触れる良い機会にもなるので、そんな連れを尊敬しています。
滝までの道で吉祥草を発見したのも連れ。
天然ながら、その観察力には頭が上がりません…
小さな赤い実をぶら下げて、暗がりの中、光っているようにも見えました。
これがもし明かりなら、この小さな世界は夜にどれほど楽しいのだろうか…と勝手に思いながら…
ふとさっきのおばちゃんを思い出す。
三人で笑いながら食べているものを教わり、食す。
そんな小さな世界や場であっても、眺めれば眺めるほど、いればいるほど、引きつけられていくような気がします。
そこが見えてくるような気もするのです。
身近におばちゃんがいて、連れと二人で会話がイロイロ弾んだのもそのおかげ?
吉祥草のちっちゃな赤を見ていると、イロイロ重ねてくれるようです。
素朴な場
留めて離さぬ
吉祥実
一分の存在
一里の明るさ
視野は広いことにこしたことはありませんが、小さな世界に大きな明るさを見出すことも大切と思います。
はしゃいだ連れは帰り爆睡でした…
