温いです。
歩くと汗ばみます。
芽吹いている木があります。
どうなっているんでしょうか…?
そんな陽気に楽しそうな?絵です。
学校へ行く子供達も、陽気にいつもは縮こまる体が意気揚々としてました。
楽しそうですね…戻りたいとは思いませんが、学校の行き帰に何をして遊ぶかを考えていたあのウキウキ感はうらやましいです。
数日間ですが、大学の論文で、中学校の美術の授業をおこなったことがあります。
勿論環境デザイン学科なので、題目は学校の自然環境が及ぼしている感覚、知識への影響とそのモデルに関するものです。
まず教室を出ずにいきなり学校の一番好きな場所を想像して貰い絵を描いて貰いました。
面白い…!
そんな空間ないだろう!!なんて事もしばしば。精巧に描いている子、色が想像以上に多彩な子、一つの植物だけを描く子、アリを描いている子…
その後のアンケート分析と行動分析で論文を書いたのですが、今回は論文はさておき…
授業で当初心配していたのは、授業を楽しくできるだろうかの一点でした。それにまともに書いてくれるふぁろうか…と。
そんな事は心配のしの字もなく、一斉に描いてくれました。
[教室からでなければ自由にやってください。前にある用紙に描いてください]
と最初やっていたのですが…ノートに描いてもいいですか?
色つきの画用紙使いたいんですけど?
色テープとかないですか?
驚きと感激でした。
私以上に子供は範囲を選ばない。想像以上にどん欲で、直感的なものでした。
論文へ影響の出ない具合に要望に応えましたが、それでも無理でした。途中から多少論文に影響が出てもいいか…と思ってみんなで好きなように…もう最後は絵の授業でなくクラフトやら文章付け足す子やらで良くも悪くもみんな楽しかったようです。
最後に一人ずつプレゼンして貰い終了しましたが、教員はついていけないほど毎日が勉強のような気がしました。
例えば…何故絵なんですか?
考えてみればおかしい。描きたいものがあって、表現するツールを選んで、作品ができる。
この子の意見は的を得ているわけです。非常に頭がいい?のです。
そこで絵の授業だから…と言ってしまえばそれが答えになってしまいます。
ふと飛んで数学でも、何故6つのリンゴを3つ食べました。残りは幾つ?
何で3つしか食べなかったんですか?2個と半分でもいいじゃないですか。
普通ではあり得ない質問です。でもそうですよね…問題集にあった文章、その背景なんて考えたこともなかった…
そればかりでなく、それを突っ込めば分数の授業、物語の想像の勉強。
イロイロできますね。
とまあ数日の授業しかしていない者がかってワガママに言いましたが、必死にどうしたらいいんだと思うとき、すぐ側に答えが落ちているような気がしますし、楽観的な方がいいのかも知れません。
なにごとも…
道見えぬ
もがくほどに
目がかすむ
座ったしりに
笑うタンポポ
子供は思った以上にアイデアマン。
思った以上に博学なのです。
最近お昼になると季節を忘れるぐらいの陽気に恵まれていますね~
物足りないまま冬を終えてしまうのでしょうか。
秋でもなく春でもない…冬でもない…そんな不穏な種を隠ししつつ。
何をと、聞かれればそういえばもっと寒かったような…もうつぼみを付けている木が!!不穏な種を見つける人は少ないのでしょうか。
京都議定書が提示され採択されて5年ほどでしょうか、むろん二酸化炭素の排出を減らす目的であるものですが、、、維持するどころか増加しています。
京都議定書の中心人物は今でも世界を回り、削減に向けての説得をしています。
面白いことに解決案を一から考えるのではなく、説得する段階まできているのにもかかわらず増加の一途をたどっていることです。
といっても偉そうな事を言っているのですが、私自身は特に環境破壊反対と思う事はありません。
もう止まらないような気がします。
去年紅葉をみに京都へ行きましたが、全くの緑。それはそれでおつなのですが…
それが普通になっていく感覚がとても残念に思うのです。
大阪は熱い…車が多いからね…
普通ですか?
とは言え便利なものは便利。
ただ念頭に置いておくべきは、環境にいい車はあり得ません。
車を全く使わないことも環境にいいとも言えません。
全く使わないことが環境にとっては普通なわけです。
後は使いたいときに使えばいいかと…
私自身車使いますし、暖房使いますし、取り立てて環境を守ろうとしているわけではありませんが、何せ自然は気持ちいい。時折暖房や冷房では無理な気持ちよさも提供してくれます。
そう思うから夏場あまり冷房使わなかったり、冬場ひなたぼっこしたりとなるだけです。
自然の方が時に何倍も快適な空間を提供してくれることを知っているから、機械を使わない時がある。
そんな感じですかね…
議定書の話題を出したのは、そういった空間がなくなるんじゃないか?ということです。
にほう梅
簡素な影に
愛でる心
凍てつく時に
何故花開く
直感です。花としては不都合な季節に咲き乱れる梅。
何を思い、何をみて、今だったのでしょうか。
休みを使って岡山へ。
まだまだいろいろ動ける今、できるだけ文化の生活を目に焼き付けておこうと動き回っていますが…
特に勉強というわけでもなく、しなければと思うこともなく、実際はほんとゆっくり観光気分です。
現地の人と喋るのが最も好きで、以外とタダで…イロイロくれたりするのが…期待はしてませんが…
ともあれ今回は伊部の方へ焼き物を見に行くことに。
何かこう殺伐とした駅でしたが、踏み行っていくと、壁に壺が埋め込まれたいかにも焼き物の地という感じです。
備前焼自体、釉薬を使わず焼き加減のみで模様を施すとてもシビアな世界。独特の鈍いようで透き通った光を放つ表面で、使えば使うほどその輝きが使い手独自に変化していくそうです。
やはり日本文化は文明開化に一度衰退の道をたどります。
不思議なもので、進化を伴うときに必ず本来の文化が衰退するのですね。
進化、進歩と呼びながら、実は歴史を無視する矛盾な思想がこんな所でもかいま見れます。
衰退する備前焼も茶の流行などを機会にまた全国に広まるようになり、今に至るようですが、100円均一の消費が伸びている点、セラミックの登場などで、また需要としてはあまり伸びていないのでしょう。
多くの大型点で並ぶ食器はおそらく人と対峙して作られるものであって、文化としての食器は、その材料と生活に対峙して作られると思われます。
人と対峙するといっても、ニーズの生み出しや、ファッション性の表面であって、効率が先取りになるでしょう。
どちらがいいのかは個人が決めることですが、長年の文化という生活の土壌で培われた備前の器には生活、食事の思い入れを変えてくれるような気がするのです。
備前の食器を使うとき、その単素な美しさに、料理も合わせてみようか…
重みのある食卓に座り、その際に気づけば、食はまた違う視点となるでしょう。
文化の生活がうんだ食器に乗っかるそんな楽しみを、体験させてくれるのです。
彩食へ
基を繋ぐる
土の間が
簡素な重み
食へと注ぐ
土と炎それだけの世界だけに素直で簡素な美を追究できるのかも知れません。
ふと備前焼で食べる魚に土の香りがしました。
今日は寒い…刺すような痛さがぬける風です。
今日の通勤時に、一声大きな頑張り屋さんが。
気になったのでトコトコよってくと野宿者強制排除に断固反対!と…まっすぐなまなざし。と…見向きもせず早足で流れていく人たち。
ホームレスの方がチラシを配っていました。慣れない手つきで懸命に渡そうとしますが、宜しくお願いしますの言葉がなかなかでないようなご様子。
なかなかとってくれる人がいないようです。
そういうときあの人の目に過ぎ去る人はどう見えているのでしょうか…何か隔離された別人種のように見えるのでしょうか。
私自身、別の文化を持つ人たちにも見えました。
近くにいるのに、同じ場所にいるはずなのに、線があるような…自分で線を引いているような…もどかしい壁があるのです。
私は私…
日頃そう思うことが多くなりつつあります。
only1なんて言葉もあいまって、いいようにいいわけに使うように。
それがどれだけ狭いことかに気づいたのはごくごく最近。
ある本との出会と先生の教えによるものです。本への疑問から近くの知人に話を聞きにいきイロイロと意見を頂きました。
人と人を繋ぐ接点に仕事がある。
自分で完結すれば勿論成り立たない。
街頭で声を上げる若者はホームレスの人たちのためにボランティア[仕事]をおこなう。
ホームレスとの接点です。
母から手伝い[仕事]を頼まれる。母への思いなる接点です。
もし自分の仕事じゃないと断れば接点はありません。その代わり仕事をしなくてすみます。
私は私…
なんと窮屈なことか…
私は私…
なんともったい事か…
人と繋がりたいと思う反面、繋がりを断ち切っていたのはおかしくも自分だったわけです。
街頭での訴えが、ひっきしに戦う姿勢。
通り過ぎる人々。
境界のせめぎ合い。
断ち切れぬ境界。
断ち切れる繋がり。
今の縮図なのでしょうか。
近づきし
とどろく声も
僅かにと
空は変わらず
包み隠さず
明日は貰ったチラシの中身に触れようかと思いながら…
雲の切れ目から差し込む光にぬくもりを感じます。そんな日でしょうか…日差しを浴びればとても暖かい日です。
とてもとても遠い場から届くのに芯までほんわかするあの力量には感嘆です。
先日お昼の休憩に美術館へお散歩…平日でも今や結構なにぎわいで、どちらかというと、絵を見ている人を見るのが好きだったりします。
ぐわ~とのぞき込んで、ほうほう…と。
目を丸くして不思議なものを見るような。
この前少しお話しした人は画材の凹凸が好きみたいです。光ぐわいが変わる?…らしい…間接の照明とかかなり考えられてるらしいです。
ん~美術館。
まさにそれですね…
絵のための箱。
作品の為の場所…
人のための箱?
ドンドン気になることがでてくるので、少し話を続けました。
美術館は外敵から貴重な美術品を守るためが発祥らしく、それらを一般公開へと流れたものなのだと。
美術品の収集とその研究が最も今では力を注いで欲しいとおっしゃりました。
少し大学で活動したことがあるのですが、
昨今では環境アート、ランドアートなる自然そのものを対象にした芸術もあり、その方曰く美術品は自然の環境を浴びて最終となす、自然からできてない美術品はあるかな?と…
掴みづらい言葉でしたが、おそらく自然の中でこそ美術としての術を全うできるのではないか。
ということだと思われます。
保存の観点から見れば決して奨励されないお言葉。
しかし、自分の表現のために自然を使用するのであって、それをいつか返さなくてはならない。崩れゆく作品の過程もまた継続する美術であって欲しいと。
人はいつか貰うことを覚え、返すことを忘れてしまいがちです。
この方とお話しするまで私も思いもしなかった。
決して押し進めるべき文面ではないですが、そう考える人もいると言うことです。
町に乱立する彫刻やアート。
雨で汚れ、寒い日もじっとたた佇み、樹木の葉に彩られ、ずっと佇む…
貴方は何をみてきたのでしょうか?
そんな彫刻にガム、足下にタバコ、ゴミくず…
涙を堪えているように見えます。
そうされることが悲しいのではなく、誰かの手によって折角生まれ出でたのに、人々に僅かでも豊かな気持ちを感じてもらえないと自分を責めいているように。
そう悲しんでいるわけです。
物言わぬ貴方は頑張りすぎです。
しんしんと
美しなるもの
何故黙る
慈しむ心
貴方だけかと
美術館は聖域であっても以外は他と言うことなのでしょうか。
お天気もよろしくなく、仕事前の洗濯を部屋干しへ…
曇りも嫌いではありませんが、スパッと晴れた日の洗濯は何故か高揚しますね。バタバタ揺らめいて、飛んでるような…晴天のもとでは洗濯物も嬉しそうな感じを覚えます。
学祭の時、校舎間一面をTシャツで飾った時を思い出します。ただ飾るのは面白くない!!
全校生一人一人着古したものに思い思いのペイントをして飾ってみようと企画し、実行…
一人一人
「アレ私の!!」
「ウオッー」
「キッタネー」
「オレのどこ?」
「あの場所俺らだろ」
空に舞う一人一人の歓喜に揺れる作品が答えてくれたのでしょうか。晴れ上がる空に色とりどりのそして思い思いの一面が太陽光に透けて、一生の思い出をくれました。
その色合いは一人では消してでなかったであろう色。
太陽、風なくしては絶対なかったであろう色。
洗濯物でさえ自然は答えてくれるのでしょうか…
ふと洗濯ばさみが飛んでくれたらな…と思うのです。
あのとき紐ではなく洗濯ばさみもデザインすれば良かったと思いました。今では多彩な洗濯ばさみが販売されて、中には鳥?と思うようなきれいな透明の洗濯ばさみも。
単に挟むのみ?その洗濯ばさみ…昔のデザインは凄いです。一つとして同じやつがあるの?ぐらい豊富なんです。木で精巧に彫り物がしてあり、洗濯には…と思ってしまう。
今では棒状で好きなように挟めるものも。
洗濯も楽しくなってきましたね~
無理矢理ですか?
日常のふとしたものを入れ替えることは楽しいんですよ。
言い過ぎですが、空に赤の洗濯ばさみ…
黄色の洗濯ばさみ…
白のシャツ…
塗り絵みたいですね~
ほんと細かくて無理矢理ですが、そんな気持ちの持ちようで生活がちょぴり楽しくなります。
景うつす
くるめく舞う絵
立ち上り
空の碧へと
染まりゆく
心の持ちようは、無料ですから。
先日、某番組で問題になった納豆…実感したのは数日前、納豆を買いに行くと全くないんです。
昔から、決まった曜日に納豆を食べるのですが、今までみたことがない光景でした。
同時にメディアの影響力に深々と怖さも感じましたし、その偏りに違和感さえ覚えました。番組自体はみていなかったので、友人に聞いたり、新聞で確認したりしましたが、ようはダイエットの目的として売れ行きが伸びたようですね。
おそらく納豆はもう既に日本の文化としての食。製法、味がイロイロ工夫を重ねられ、大豆のうまみとは?なんて所まで突き詰めて生み出されたものなのでしょう。
ダイエット食品納豆!!
いささか納豆にしてはご迷惑な代名詞のような気がします。
人によりけりですが、ダイエットは決してやせる事ではなく健康体になることが目的であるような…
つまりやせすぎている人の体重が増えればダイエット成功と言えるような気がします。
ちょっと強引ですかね。
そして確かに納豆が含む栄養素は格段に高いことは実証されていますが、栄養価が高い?どういう事でしょうか。
種類と量が豊富なだけで含んでいない栄養素もたくさんあるのです。だから日本には薬味という文化もあるわけですね。
少しさかのぼって、某番組を調べてみましたが、カテゴリに特化した番組がとても多いよう…見手にとっては結局どうしたらいいの?となりそうな番組。
打ち切りの案がでているようですが、最後に貯めてきた知識をどのように生活で応用したらいいのかという番組をやって欲しいです。
わずかながら食の文化にも触れているようで、ご当地に料理法も紹介しているよう。
番組でのウエイトもあるでようが、もう少し突っ込んで総体的に見せて頂いたらとても楽しめたのではないかと思います。
高級路線でひた走る料理番組…
某番組が必要だと思った瞬間です。
今日は少し長くなりそうです…
納豆一つにしても、藁苞、空気、自然発酵、気候等色々な文化が見えてきます。
栄養だけでなく、地域独自に作られる料理を家族がとても楽しそうに食す。歴史を思わせるような蔵で寝かす作業の奥行き。
更に藁だけ見ればその使用用途は数え切れないほどの文化を生んでいます。白色にぼかしひかる陶磁器にも藁の藁灰釉が使われたりしています。
結局単独は何も見いだせないのかも知れませんし。そうでないかも知れません。
万有な
藁の姿に
何を見る
煙立ち入る
わびし水田
少し遠い水田と納豆…でも繋がっているんです。
日曜日はどんより曇ってましたね。せっかくのお出かけだったので、すぱっと青空覗かせて欲しかったのですが、曇り空もまたたまにこぼれる日差しのありがたみが分かります。
町屋に合わせて滝を見に行こうかとなり、兵庫の北へ…
お腹がすいたのですが、折角なので露店を食べ歩くことになり、片っ端からぱくついていきます。
できたての釜飯…ほくほくでうまみが利いてて美味しい。というより、歩いて、疲れて、外の寒さの中で優しいおばちゃんに頂く事が美味しいのでしょう。
試食で食べたんです。
釜飯の食べ方の指南までして頂いて、かなり活気のあるお方。
囲炉裏のそばでたべんのが通!!
なんて笑いながらおっしゃるので、たのしくおばちゃんの話聞きながらちょっと長居してしまいました。
ものを食べる文化はこういうものではないのかなとかすかに思いました。
その後近くの山に滝があると聞き楽しみに向かいました。
連れは以外と好奇心旺盛なので、道中イロイロ寄り道するのですが、分けわかんない細工発見したり、珍しい染め屋さん発見して、話聞いたり…以外とそれが楽しく、触れる良い機会にもなるので、そんな連れを尊敬しています。
滝までの道で吉祥草を発見したのも連れ。
天然ながら、その観察力には頭が上がりません…
小さな赤い実をぶら下げて、暗がりの中、光っているようにも見えました。
これがもし明かりなら、この小さな世界は夜にどれほど楽しいのだろうか…と勝手に思いながら…
ふとさっきのおばちゃんを思い出す。
三人で笑いながら食べているものを教わり、食す。
そんな小さな世界や場であっても、眺めれば眺めるほど、いればいるほど、引きつけられていくような気がします。
そこが見えてくるような気もするのです。
身近におばちゃんがいて、連れと二人で会話がイロイロ弾んだのもそのおかげ?
吉祥草のちっちゃな赤を見ていると、イロイロ重ねてくれるようです。
素朴な場
留めて離さぬ
吉祥実
一分の存在
一里の明るさ
視野は広いことにこしたことはありませんが、小さな世界に大きな明るさを見出すことも大切と思います。
はしゃいだ連れは帰り爆睡でした…
どんより曇った空が冬空らしい感じですね。
夜からは雨らしいですが、冷たい夜になりそうです。
わざわざ庭で久しぶりにいすをデッサン。とその奥にモシャモシャの森が…
家の庭にパセリが顔を出しました。チリチリに鮮やかな緑が一生懸命ちっちゃいながら頑張っております。
なんかプチ森みたいな感じで楽しんでました。
チリジリの葉が遠景の樹木を思わせるようで、木の赤ちゃん?なる繊細な植物なのでしょうか。
以外と庭はほっておいても、大葉、ミョウガ、パセリ、ハーブ、ドクダミ、紫蘇が繁殖していくので、食事にもよく登場します。そして…何故か!?春になると裏庭でヨモギが大量に…空き地寸前なんです。
春になればブログにも書こうかな~と思うのですが、新芽を積んで団子に入れるためです。癖のあるアクの利いた香りは春特有ですね。
以外と?そこら辺に生えている雑草?は結構食べられるものが多いのですが、京都にもそういったお店があります。
勿論雑草のお店ではないですが、庭で育てた食材しか使わないお食事屋さんで、店のメニューもめまぐるしく変わります…というか、毎日変わります。
一つの食材であっても、育ちが違うと中身も違う…
ここで育ったらこうなるのか~となんか面白いですよ?
例えば冬といえば保存の利くカボチャですが、雨が多い地方は少し水っぽい、ねっとりした淡泊で香りが良いものもありますが、雨の少ない水はけの良い…北海道とかのカボチャはホクホクで甘い、サツマイモみたいなイメージです。
勿論経験測なので一般には言えないと思いますが、オイシイ!!だけでなく、こういう味なのか~と考えてみるのも一興ですよ。
だから料理はきっと愛情なのです。
愛でる地で
大地なる母
教えられ
育つ貴方は
何味ですか
教えられるべき事が愛情であればその料理はとても美味しそうです。
今日は晴天ですね。 紙にドンドン色が落ちていって、
晴れ晴れと綺麗な青空に雲がふんわりと浮かんでおります。
時たまほんとに乗れそうな雲があるんですけどね…乗れないんですかね…やっぱり。
ハレ、良い言葉ですね~全て良い方向に向かう感じを出してくれます。おめでたい言葉なんですね。
ハレとケという言葉ご存じかと思いますが、祝いや特別を指す[ハレ]と[ケ]とは日常を指します。
余談なんですが、家の食事は昔からこの区別があります…
[ハレ]の日は豪華?というより品数も多くなりますが、[ケ]の日にはごはん、みそ汁、納豆、漬け物、お浸し、のみです。
子供の頃はその日肉が食べたくて仕方なかったのを覚えています。卵かけもみそ汁かけもダメなので、白ごはんが…みそ汁かけるのはどうかと思いますけど…もう慣れましたが。
両極があるから片方が分かる…そんな感じでしょうか?いつもPCで作っている絵も今回は久しぶりに手書きで書いてみました。
相変わらずのガタガタ絵ですが、書いていると楽しかったですね。
線が重なり
埋まっていって、
浮き上がってきて、
今にも動き出しそうで、
友達みたいで…
これほどか…
もう日常化してしまっている受動的なものの多さに少しばかり驚きました。
というより愛着すら受動的になってしまうかも…とちょっとばかし心配になったり…
ハレに問う
我にとって
めでたきか
ハレは私と
ケを見微笑む
どちらが良いなんてないんでしょうね…聞いたとしてもほんと笑われそうです。
