怒りの蓋
最近めっきり怒ることもなかった。
イロイロ言いたいことコントロールできるようになってきたのかなと思いこんでいた節もあるが、真に受けずに自分でしっかり考えることが少しはできてきた事もあるかも知れない。
でもやっぱりマダマダでした…今回のブログはかなり自分勝手なものであるかもしれません。
先日新聞でペット問題の記述があり、無理な勾配、手に負えない数、虐待等で保健所に200や300の犬や猫の死骸が搬送されている事実。生存している犬や猫も足がなかったり、目がなかったり痛烈なものであった。近年、カワイイ、癒し、等動物と何ら関係のない勝手な代名詞が付き、身勝手な飼い主やペット業者が多発した背景があるだろう…今ではペット業専門の学校まである。
もうからだがふるえるほどの怒りがこみ上げてきた。新聞を見てあまりの怒りに泣きそうになったのはこれが始めてである。
実は私も犬を飼っている。公園に捨てられていたマダ生後間もない犬だった…
昔から、親が動物好きで過去にもコリー犬、文鳥、リス…と買ってきたが、家には動物を飼う際に必ず決まり事がある。飼うと決めた本人が全責任を負わなくてはならないという決まり。勿論家族全員で世話をするのですが、犬なら朝と夕方の散歩は必ず行かなくてはならなし、他の家族がいけない場合は自分の予定をずらして必ず行かなくてはならいのです。その他問題が起きた場合も責任をとるのは決定した人です。
つまり、その覚悟が家族のなかで一人も出ない場合は、飼うことは決してしません。
友達も最近は室内犬を飼っている家も目立ちますが、どうして飼おうと思ったの?ときくと、カワイイから…癒しやん…と…。散歩行ってる?ときくと、親がほとんど行って自分は週に数回、いやほとんど行っていない人も多い。
服を着せる人も今は多いのだが、犬は自分の体をなめたり、かいたりするのでそれができないと、ストレスがたまる。
よく犬を洗う人もいるが、体の油分が急激に失われて良くない。
自分のファッションセンスやきれい好きをどこまで犬に押しつけるきだろうか…?
その願いがとぎれた瞬間にいとも簡単に捨てる選択をとる人も多いという。
この前の崖に取り残された犬のニュースもあきれかえっていた…犬一匹助けるのに全国の何万人が注目したであろうか?保健所で殺される犬を何人が見ているであろうか?その犬は全国の公募から飼い主が決定されたようです。
この前散歩中に友達に会ったのですが、面白い一言…もしかしたら犬のえさが人間やったかもしれんのな…惨めなもんやで。
確かにこれは言い過ぎですが、命としては対等であることを言いたかったのだと思います。
動物は人間の思った以上に利口。
そして手に余るものです。
昔飼っていた犬が近所の人にかみついて怪我をさせてしまったこともあります。謝罪してどうにか保健所に送らなくてすみましたが、他にも問題は飼っていると尽きません。愛嬌だけ、癒しだけ見てると、責務を忘れがちになります。結局は自分の趣向の投影をしてしまう。
動物の何が幸せなんて今だ分かりませんが、最低でも生きているものを扱う覚悟と視点だけは必要不可欠だと思います。自分のいいなりにできる生き物はいません。
瞳奥
写りし思いを
のぞけたら
キミの幸せ
僅かに知れる
本当に久しぶりに怒りを覚えました。怒りとは、寂しさや分かってもらえない気持ち、悲しい気持ちの蓋の役割らしいです。
心の底で怒りに身を任せながらただただ悲しかった。
偉そうに行っているかも知れませんが、それほどに悲しかったのです。いい放しの怒りにまかせたブログになってしました。
